男は酒をやめ、煙草をやめた。冷奴とビールという、夏の皆勤優等生を失い、可愛い女子供に返信する意欲を失い、時間が余り、職場の取引先の外国人たちに、久方の友人のようにチャットメッセージを送り始めた。酔っていないから、完全に安全であり、そうなると知っていた、建設的な対話に発展していった。男は、飲んでいたら出来なかったことを再開するだけでなく、もう飲めないように自分を追い込もうとしていた。素面に横溢するオプティミズムに四肢を釣られ、秋になれば、自宅のベランダでタップダンスを踊り始めるかもしれない。そして冬には、永遠に先延ばし兼ねないフランス語の読解に手をつけるだろう。
You come from far away With pictures in your eyes Of coffeeshops and morning streets In the blue and silent sunrise
男は冷やしたルイボスティーを飲みながら、とある高名な海外現代作家の小説を読んでいた。「この髪が雪のように白く染まったら、最後にもう一度、あの人に会いたい」そのように呟いた男の事を、叙情的に回想する女が現れた。真に純文学的に、主題が織りなす静謐な詩情を受け、男は最初美しいと思ったが、やがて考え始めていた。自分だけ晩年の坂本龍一みたいに綺麗な白髪に仕上がって、突然会いに来られても、女にとっては迷惑な話じゃないか、という気がしてきた。「ちゃんと禿げたら、会ってあげる」と男は大きなピンク色の付箋にゆっくりと書き、文庫本のページに丁寧に貼り付けた。
必要以上に長く伸びる夏の夜を前に、冷蔵庫に残っていた最後の酒瓶を台所の洗い場に流した。すでに男は嫌な汗をかかなくなっていて、手のひらも足のうらもすべすべで、心の中の素顔に安堵して眠った。
歌詞引用:Gypsy / Suzanne Vega
