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赤く染めた髪に小さな猫耳をつけた女が桜の一輪を地面から拾った。おれはよく知らない白い蕾を写真に収めた。最後はいつだろう、と自問するような、完璧な昼下がりだった。高台の公園から電車を撮る彼らは本気で桜に興味がない。列車は行ったり来たりする。おれは乗った。完璧なまでに外国人の遊び場となった京都で、浴衣姿の金髪の少女が唐突に美しくても、瞬時に土地が体に染み入るのは、若い自分との同期が起こっているから。川面が吹く開けっぱなしの立ち飲み屋の入り口で太刀魚の塩焼きをつまみながら武満徹のエッセイをめくっていた。もう一杯酒を頼むと、神棚に添えられたようなテレビを、誰もが食い入るように見つめていた。その晩も、おれはそこにはいなかった。そう。いいセックスをするまで、自分が不機嫌だったかもしれない、などとは知らない。アートはだから、汚い空気を吸っているから、綺麗な空気を吸いたくなる、であり、そしてまた汚い空気を吸うのである。
<2025/4/11の忠実な記憶の記録>
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