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栗鼠を飼う女は何万といる──トリュフォーへ

7月8日

神に誓って、女を待ち伏せする機会は失われた。人生で一度しか許されていなからではない。詩の消失を不当に女のせいにしたからではない。男が中年だからだ。もう女の名も顔も思い出せない男は探せない。酔っ払った占い師が視えると囁くかもしれない、男の死後の世にも執拗な亡霊さえ、詩や肉体を探して異国の川辺を彷徨ったりはしない。幻想は現実逃避でも明日と向き合う準備でも信仰の予兆でもない。愛の告白でも誘惑でも友情の証でもない。記憶を完全に失ったから幻想がある。その女を見ても聞いても読んでも声を聴いても気づきはしない。


言葉、囁かれる、優しい言葉たち

この上なく純粋な愛撫


素面の右手も太陽の好色も遠い微かな病の残響も一番美しい想像も──二度とその女を書きはしない。「この台詞!何もかもわたしが現実で喋ったことじゃない!」とカトリーヌ・ドヌーヴはあきれたのかもしれない。書かせてくれてありがとうございます。一番大事なのはあなた方の生活、それとは別の、わたしの生活。


歌詞和訳引用:残されし恋には / シャルル・トレネ

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